母子分離不安(3)わたしにできること

母子分離不安(1)はじまり
母子分離不安(2)先生と共に


note

正直、毎朝が苦痛でしかなかった。
長男は泣き、わめき、暴れて、
わたしを殴り、罵った。

たまらず
怒鳴り返してしまったことだって何度もある。

二人とも、心の中がめちゃくちゃだった。


学校って、こんな思いまでして
行かなくてはいけないところなのか…
という思いが常につきまとった。


休ませるという選択をすることだって出来た。
しても良かった。


でも担任の先生がすべて理解してくれて、
毎日こまめに電話をくれて、
わたしたち親子を支えて下さった。

それってすごく恵まれていること。

信じて進むしかないと思った。






その頃始めたのが、ノートに書く手紙だった。


入学してからずっと、長男の学校生活が
思いの外 順調だったのが嬉しくて、
わたしはいつも帰ったばかりの長男を
質問攻めにしていた。


学校での出来事を知りたい一心で
事細かに尋ねて、
宿題をするときもずっとそばにいた。
宿題のやり直しだって、
手を抜いたことがなかった。


完璧にしようとする長男に、
わたしも完璧を求めていた。


先生に「パンパンに膨らんだ風船」と
例えられてからというもの、
その一因が自分にあるということも痛感していた。



それを改めようと思い準備した一冊のノート。


尋ねることはもうしない。
だから、わたしのことを書こうと決めた。

何でもない、日々のこと。
長男と離れていた時間に、
わたしが何をしたのかということ。


『お昼ごはんにカレーをたべたよ。
からくて、あせがいっぱい出たよ。』

『さんぽに行ったら
大きな虫がいてびっくりしたよ。』

『ずっとパソコンでしごとをしていたら
かたがいたくなっちゃった。』


そんな他愛もないことを
昼間のうちにノートに書いて、
そっと机に置いておく。

読んだかどうか尋ねない。感想も求めない。

交換ノートとはいえない
ただ一方通行のノート。


それでも長男にとって
帰宅後の小さな楽しみになってくれることを願いながら
毎日欠かさず書き続けた。






そんな日々がしばらく続いた頃、
いつものように車で学校に到着した朝、長男が
「お母さん、教室まで一緒に来て」
と小さく言った。


先生に連れて行かれるのではなく、
自分で教室へ行くというのだ。



長男の手を取って教室へ向かうと、
先生が待っていてくれた。

自分の足で校舎に入れるようになったのだ。
小さく、大きな一歩だった。


次第に「靴箱のところでいい」と言うようになり
(大概、靴箱周辺にいる先生に付き添われる形になったが)、
自分で教室まで行けるようになった。






それから少しずつ
「登校班で行けるようになるといいね」
という話を始めた。


「◯◯(長男)が行けるかなって思ったら、教えてね。
お母さんも一緒にいくからね」と。

彼のプレッシャーのならぬよう、
彼のペースに合わせられるよう、
やんわりと背中を押してみた。







その頃だった。


ずっと続けていた一方通行ノートを
初めて長男が手渡してきた。


栞の挟んであるページを開くと



『おかあさん。いつもお手がみ、ありがとう。』 の文字。



嬉しくて嬉しくて、
また泣いてしまうわたしだった。